2011年4月11日月曜日

東日本大震災

震災から一ヶ月。何が起こったのか、記憶が褪せる前に記録し、ネット上でシェアしておく。


2011年3月11日、14時46分。東日本大震災が発生した。
その時、自分は都内の食堂の1Fにおり、地上の高さにいた。揺れは大きくゆっくりとしたもので、激しい縦揺れはなく、立っていられないものではなかった。そのかわり、永遠に続くかのような長さを感じた。
近くに高速道路があり、遠くからゴオォという音が近づいてきたかと思うと、メキメキと大きな音を立てた。
17日前の2月22日にニュージーランド、クライストチャーチで地震があり日本人の被災者も多く、そのニュースを見ていた日本人全員が防災意識満点、地震の恐怖を改めて感じていた。そのため、揺れがおさまり外に出てみると、オフィスから多くの人が出てきており、騒然とした雰囲気に包まれていた。反して街並みは全く変化しておらず、関東大震災以来の日本の耐震技術の高さを証明していた。

地震から5分後、14時51分につぶやいたのが以下のツイートである。

生存してますツイートless than a minute ago via TweetMe for iPhone


仕事場に戻り、地震直後の放送からマグニチュード7.9、津波の高さは10mという気象庁による“予報”が出た。
その時やっと、地震の規模の大きさに気づき始めた。
「10メートル…!?(聞き間違えか?) これは尋常じゃない…」
今までの地震とは違う。
地震大国に住む日本人はみなそう思ったはずだ。
――ついに来てしまったのか?、と。


仕事場にはTVがなかったが、電気やネットは生きていたため、UstreamでTVのミラー中継を見ていた。リアルタイムの情報共有にはTwitterだった。

政府の対応は早かった。現実に審議中の国会が揺れたというのもあるだろう。阪神大震災の教訓もあり内閣危機管理監が機能し、すぐに緊急災害対策本部が設置された。
しばらくして、中継地点から東京周辺の火災や建物の倒壊の情報が入り始めた。続いて首都圏の交通網、東北のライフラインの情報。
その後、ヘリコプターによる津波の映像が流れ、その圧倒的破壊力に日本人が震撼し、世界が戦慄した。
コンビニの食料品がカラ
燃えながら津波に運ばれる家屋。黒煙を上げるコンビナート。まるで溶岩を流したかのような気仙沼の映像。列島に闇夜が覆い、被害の全貌は全く見えない。
そのうち、地震発生以来止まっていたJR在来線の「本日中の全面運転停止」がアナウンスされた。
史上初の帰宅難民発生である。
自宅まで歩く距離ではなかったので、早々に仕事場に泊まることを決定(正直歩けない距離ではないのだが、職場に泊まることはザラなので抵抗感は全くなかった)。
おにぎり、パンが売り切れ
コンビニに行くと、食料はカラ。
ゾロゾロと徒歩で帰路につくオフィスワーカーが多数見られた。


結局、朝までUstreamの中継とTwitterで情報収集。巨大地震が起こっても電車が止まるとやれることはほとんどない。
マグニチュードが8.8に修正(後に9.0に再修正された)。
いつまでたっても収まらない余震。
ソファに横になるも、揺れと緊急地震速報で何度もおこされた(東日本の人間にとって緊急地震速報の音がトラウマになった。ちなみに本震では全く役に立たなかった)。
たいした睡眠もとれぬまま、午前7時に電車が動き始め、帰宅。
うちに着き、本棚やテレビの転倒を恐れていたが、無事。少しモノが散乱しているだけだった。

家について着替えて安心したら悲しくなってきたless than a minute ago via web

都内で見られた
ビル外壁のガレキ

以来、世界は311以前と以後にキッパリと分かれてしまった。
まるで日本に巨大地震が襲いかかる平行世界(パラレルワールド)に迷い込んでしまったかのようだ。もどる術はない。朝起きるたびに夢ではなかろうかと感じる。


当時の日本は世界一の資産と平和ボケで弛緩し、終わりなき日常(via宮台真司)の中でまどろむように生活していた。
震災以前の世界で
日本でスリーマイル島以上の原発事故が起こって水道水まで汚染される
と言われても一笑に付したことだろう。
日本人がいちどきに3万人も死ぬなどということが予想できただろうか(911の10倍。阪神大震災の5倍)。
渋谷のビジョンや、新宿のネオンが消えるなどと想像できた人がいただろうか。
それらは全てフィクションの世界だけの話だった。

スーパーは節電で
薄暗くなり品薄が続く
震災後、如実に現れた変化は、物不足と計画停電(節電)。
とくにガソリン、灯油などの燃料。ペットボトル入りの水は震災直後から根こそぎ店頭から姿を消した(自販機の水さえ売り切れ)。電池やトイレットペーパー、パンや納豆も消えた。
実際に物自体はあるものの、物流の停滞によって店頭に届かないのだ。
日本は、トヨタの発明したカンバン方式と呼ばれる店舗に在庫を持たないシステムにより、強烈な物不足に陥ったのである。
街は薄暗くなり、テレビはCM自粛でAC(公共広告機構)のものばかり。電車の中吊り広告は歯抜けになった。
桁違いの余震の多さはこの震災の大きな特徴だろう。TVではいまだしきりに地震情報がテロップ表示されている。今日までにマグニチュード7を超える余震が2回あった。世界が揺れているのか、自分が揺れているのか、多くの人が地震酔いに陥っている。
自衛隊員10万人が東北に向かい、米軍はオペレーション・トモダチで支援。iTunesではチャリティーアルバム“Songs for Japan”が1位となり世界中で支援の輪が広がった。
JRが運休
海外メディアでは、日本人の冷静な対処が賞賛されたが、その実日本人の心は恐怖におののいていた。ネット上で、平時では噴飯物のしょうもないデマにたくさんの人間が騙され、半狂乱のチェーンメール・リツイートでトラフィックが埋めつくされた。混乱に乗じた政府批判も人間の心の弱さを如実に物語っている。多くの人に客観性がなくなり、統合失調症的被害妄想にさいなまれている。
有事こそ、人間の本質やリテラシーが試されるのだ。


揺れの半日後あたりから、原子力発電所の情報がかまびすしくなった。

念仏のように唱えていた「日本の原発は安全」というお題目。

いざ、事故が起こってみると、その醜いまでの手際の悪さ。想定の甘さ。
あれほど安全と謳っていた東京電力の危機管理が、ここまでグダグダだとは誰も予想だにしていなかった。日本人を始めとして世界中が唖然・呆然である。

そもそも日本は地震大国であり、縦横無尽に活断層が走っている。にもかかわらず原発は地震で簡単に止まってしまう。結果、電力不足に陥るという誰にでもわかる因果応報
沿岸に建設しているにも関わらず、津波対策が不十分という不条理。バックアップ電源が津波で流され(!)、その上、電源車が駆けつけたものの、ケーブルが届かない(!)という、目も当てられない体たらく。国家破壊級天然ボケ連発に日本人全員がツッコミに回った。

東電社員が自身のキャリア保身のために、ベント(圧力開放=放射能放出)したくない。炉内に海水を入れたくない。当然、事態は悪化する一方。
冷却に失敗した場合、構造的に水素が発生することは明白であるのに、水素除去装置(Hydrogen re-combiners)が存在せず、水素爆発。建屋が吹き飛ぶ(これにより短期的な事態の収束が不可能に)。使用済燃料プールがむき出しになった。

その結果、最悪のメルトダウン(炉心融溶)、五重の壁崩壊、大気・土壌・海洋の放射能汚染。
多数の国民の生命を危険にさらすことになった。

加えて、放射能対策を施した作業ロボットの不在(最先端のロボット技術があるにも関わらず、原発は安全なので必要なし、と2003年に破棄していた!)、ガイガーカウンターの絶対数の少なさ。観測機器の限界(1000ミリシーベルトまでしか測れない)。IAEAや国会でも再三指摘された安全確保の怠慢。コスト至上主義、人命軽視。東京電力の罪は上げればキリがない。長い日本の歴史上ダントツ1位の人災である。日本国をここまで追い詰めたのはアメリカを除いて、東京電力だけである(両者とも放射能を撒いた)。世が世なら、打首獄門・お家断絶である。

完全に無根拠な、信じられないあの楽観主義は一体どこから来たのか? 最先端技術で世界をリードする日本で、一体なぜフランスやGEに土下座するような間抜けな事態が勃発したのか?

ネットは原子力利権(マフィア)の腐敗を詳らかにした。

  • カネ(CM=デンコちゃん)で懐柔されたマスゴミと御用学者。
  • 電力会社からの献金と核弾頭(プルトニウム)欲しさで原発を推し進めた自民党
  • 経済産業省と原子力保安院の癒着
  • 天下り先としての電力会社(電気事業連合会)。

日本の負の部分を煮しめたような構図だ。

日本人は、マスゴミの情報操作によって、原発以外の方法によって電力をまかなうのは不可能であると思い込まされている(その洗脳にカネを使い過ぎて現実の安全をおそろかにしたようだ)。
結局、今後計画停電はしないと白状したことで、自ら原発は必要ないことを証明してしまった。
実際、再生可能エネルギーによって電力をまかなえる試算は山ほどあった。
これまでの投資の失敗と、利権という甘いミツを手放したくない強欲によって、人々を騙し現実から目を背けてきたのだ。
戦後一貫して非難され続けてきた現実無視の大本営発表官僚体質が再び日本を崖っぷちに追い込んでいる。

原子力はクリーンなエネルギー? 現実は最も汚いエネルギー。原油流出など可愛く思えるほどの最悪の毒物だ。
関東の人間はみな、放射能の味を味あわせてもらった。この恩は死ぬまで忘れない。


これから我々は、60年代の東京オリンピック、新幹線、手塚治虫が描いた世界――40年前の団塊の夢見た未来から、本腰を入れて決別しなければならない。すべてが一点集中のハイパワーで巨大な時代は終わった(自然を凌駕できるという人間のエゴ)。そのような過去の遺物(パラノイアの妄想)、間違った投資を見直す必要性が、まさに顕在化してしまったのだ。

コンピュータの小型化、高速化、低価格化によって、40年前には想像もできなかった電力の分散管理が可能になっている。
現在のインターネットは、サーバが相互にケーブル・無線で接続されハードウェアのリスクは分散しているものの、それらを駆動させる電源は一箇所からまとめて送られている。真のリスク分散にはまだ至っていない。
ガス、太陽光、風力、水素などを用いた小型発電と電池を、コンピュータでマネージメントし管理するスマートグリッドが今後、現実に即した唯一の解決策となるだろう。


以前から「宮城県沖地震は99%くる」と言われ、人々は津波の啓蒙や避難訓練を繰り返してきた。ましてや沿岸の住民は大地震が起こるたび「明日は我が身」と感じていただろう。避難すべき場所、動けない老人や子供はどのように振舞うべきか事前に示され、訓練を積んでいた。にも関わらず3万もの命が失われた。残念ながらこれが人間の限界である。
今後は、海岸から5km以内の海抜の低い場所に住居や学校は建てないという措置が必要になるだろう。郷土愛のエゴによって未来の日本人、子孫の命を犠牲にしてはならない。
また、プレートの動きが活発化している以上、東海地震はまもなく来るというスタンスで対策を進めることが急務である。

魚座の時代が終わり、水瓶座の時代に入った。
日本は巨大なクライシスによって目覚め、互いを思いやる気持ちと団結を手にした。これは、震災以前では思いもよらなかったことだ。豊かさに揺蕩い、漫然と暮らす日本人の心はバラバラにほどけ、二度と戻ることはないと思われていた。

日本の復興を疑う者はいないだろう。
経済の一時的な減速は避けられないものの、国の基幹は健全性を保っており、唯一欠けていた“内需”が復興需要によって立ち上がり、循環していくはずである。
東北を救うという、ひとつの目標に向かうチカラはこの国の新しい希望となった。

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